訪れるべき和歌山県

和歌山の山間で学ぶ「命をいただく」ということとは

株式会社日向屋

「いただきます」


食事の前、手を合わせてこう口に出す人は多いことでしょう。

では、私たちは「何を」いただいているのでしょうか。

「いただく」ことの本質の一端を、和歌山県田辺市にある「株式会社日向屋」の狩猟体験ツアーで探してきました。

日向区と鳥獣被害、そして「チームひなた」

株式会社日向屋は、和歌山県田辺市の中心部から車で20分ほどの上芳養(かみはや)という地区にあります。そして上芳養には、「東山区」「西山区」そして今回のツアーの舞台となる「日向(ひなた)区」の3つの区が存在します。

ここ最近、農業従事者の高齢化や農業離れで耕作放棄地が増えています。この耕作放棄地は、イノシシやシカなどの野生生物にとって格好のすみか。耕作放棄地が増えるということは、野生生物が増えることとほぼ同義なのです。増えた野生動物は、当然周辺で食べ物を探します。近くの農地で育てられているものを食べてしまったり、土壌を荒らしたり…このようなことが繰り返されると、農作物の収穫に大きな影響が出てしまいます。これがいわゆる「鳥獣被害」です。

梅やみかんの栽培が盛んな日向区も例外ではありません。猟師が減り、鳥獣被害は増える一方。シカが梅の芽を食べてしまったり、イノシシがミカンの木を折ってしまったりすることも珍しくありませんでした。

そこで立ち上がったのが、日向区で農業を営む30代の農業従事者たち。2017年秋に岡本和宜さんを中心として「チームひなた」が結成されました。それまで日向区で狩猟を行っていたのは60代の男性2名のみ。その技術を継承すべく、全員で狩猟の免許を取得し、手分けして鳥獣被害の対策にあたりました。2018年には「株式会社日向屋」として、狩猟のみならず、食肉加工や狩猟体験ツアー開催など、多くの方法で地域おこしに取り組んでいます。

私たちが今回参加したのは、この株式会社日向屋が主催する「狩猟体験ツアー」です。

狩猟体験ツアー

罠にかかったイノシシ

集合場所で車に乗り込んだ私たちは、株式会社日向屋(以下「日向屋」)のメンバーが設置した罠のある場所まで移動します。細い細い山道を、かなり上の方まで登っていきます。

どこまで登るんだろう…と不安になったころ、車が止まり、日向屋のスタッフが車を降りて罠の様子を見に行きました。危険が伴うため参加者はまだ車内で待機をするのですが、車の中からその様子を見守ることはできます。

道の横の斜面に設置された罠に、一頭のイノシシがかかっていました。左の後ろ脚が「くくり罠」で固定されてしまい、その場から動けなくなったようです。ガサガサと大きく暴れていました。

人間でも、突然脚を固定されたらなんとか逃れようと画策することでしょう。イノシシも同様で、どうにかして逃げたいと思っていることは容易に想像がつきます。イノシシはおそらく「この状態から逃げたい」と思っていますが、人間はそれが叶わないことを知っています。そして、今後イノシシがどうなるかも。

”命が消える”ということ

車で待機しながらそのようなことを考えているうちに、パン! と乾いた銃声が聞こえました。罠にかかった動物にとどめを刺す「止めさし」という行為です。スタッフからイノシシが仕留められたことを伝えられ、私たちは車外に出ました。

斜面から引き上げられたのは、大型犬ほどの大きさのイノシシでした。数分前まで激しく動いていたイノシシは、ピクリとも動きません。撃たれた頭に血がこびりついています。ツアーに同行した子どもたちの口から「かわいそう…」という言葉が漏れます。

このときの自分の感情は、決して一言で語れるものではありませんでした。

死に直面した衝撃、イノシシに対する申し訳なさ、これで近隣の農家が助かるのだという安堵、動物の命を奪うことが人間の営みにおいて必要であるという現実…さまざまな思いが全身を駆け巡りました。一言で語れないこの感情を、ずっと覚えておきたいと思いました。

鳥獣被害対策として狩猟を行った場合、役所への届け出のため、捕らえた日付を胴体に記載し、記録します。その作業を終えたあと、イノシシを軽トラックの荷台に乗せ、参加者全員で手を合わせました。日向屋では、屠殺のあと必ず手を合わせ、動物への敬意を表すのだそうです。

イノシシを載せた軽トラックと参加者を乗せた車は来た道を戻って山を下り、「ひなたの杜」へ移動しました。

命の解体作業

「ひなたの杜」は2018年に完成したジビエ肉の処理施設。温度管理された解体室やスライサー、冷凍室などがあり、ジビエ肉の加工処理をすることができるのです。この施設で、先ほど屠殺したイノシシの解体処理を見学し、体験します。

解体室には大きなガラス窓があり、まず参加者は解体室の外からイノシシの解体を見学します。

スタッフは仰向けに置かれたイノシシの喉元に包丁を入れ、そのままスーッと腹の下まで包丁を進めました。その切った部分から取り出された内臓を見て、「イノシシは生き物なのだ、そしてその生き物の命を奪ったのだ」という思いが改めてわき上がってきます。

内臓を出し終わったら、次は皮を剥ぐ作業です。ナイフを使って毛のついた皮を肉からどんどん剥いでいき、最後は首も一緒に落とします。首が落ちた瞬間、なぜか私は撃たれた直後のイノシシを思い出してしまい、鳥肌が立ちました。

解体室での骨抜き体験、そしてその肉の生温かさ

さて、ここからは参加者も作業用の服に身を包んで解体室へ入ります。入った瞬間、今まで嗅いだことのない、「獣肉の臭い」が鼻をつきました。

この時点でイノシシはまだ原型をとどめていましたが、スタッフはそのイノシシを部位ごとにどんどん切っていきます。肉のかたまりが両手で持てる程度の大きさになったとき、自分がそれを「イノシシ」ではなく「肉」として認識していることに気がつきました。

参加者が解体室で体験するのは、「肉の『骨抜き』作業」です。骨抜きとは、肉についている骨を、包丁で削ぐようにして取り除く作業のことです。自分の中で「肉」という認識に変わったものに包丁を入れていくのですが、手にしている肉の生温かさが「そうだ、これはさっき命を奪われたイノシシだ」という認識を呼び起こします。

なんとか自分の作業を終え、骨や肉、そして命について考えを巡らせていたら、突然血の気が引き、立っていられなくなってしまいました。解体室独特の臭いで気分が悪くなってしまった、とその時は思っていたのですが、今思うと「感情を処理しきれなかった」というのも理由の一つかもしれません。

日々この作業を行っているスタッフの方たちに対して、深い敬意と感謝をおぼえました。

ジビエを使った料理

解体作業後は、今回捌いた肉を使ったジビエバーベキュー。焼き上がった肉にはおいしそうな焦げ目がついています。

今まで私は、形式的なマナーとして「いただきます」と言うだけでした。子どもにも「食べる前は『いただきます』だよ!」と口うるさく言っていましたが、深く踏み込んで考えることはありませんでした。

このジビエバーベキューを前にして、初めて心の底から 「いただきます」と言えた気がします。

進化する日向区

「日向区の人たちがサポートしてくれて、日向区の人たちが喜んでくれる。それが何より嬉しい」

株式会社日向屋の代表、岡本和宜さんはこう語ります。

岡本さんはもともと日向区でみかんを栽培しており、鳥獣被害にはずっと悩まされていました。同じ悩みを持つ若い農業仲間とともに「狩猟チームを作ろう」と決め、活動を開始したのは2017年のこと。

狩猟を始めた当初はやりがいや面白さを十分感じていたものの、結局は「捕まえる、殺す、埋める」という作業の繰り返し。地域のために必要だとわかっていても、殺して土に埋めるだけの作業に意味を見いだせなくなっていきました。

そんなタイミングで、ジビエ肉加工処理施設の誘致の話が持ち上がり、日向区にジビエ肉加工処理施設「ひなたの杜」が建設されました。この施設で、捕まえて殺した動物を食肉加工することができます。殺した動物をただ埋めるのではなく、食肉として加工し、誰かに食べてもらうことで、「殺すこと」が意味を帯びてきます。食肉加工と出会ったことで、改めてやりがいを見いだすことができました。

日向区の住民はほとんどが農家で、チームひなた(当時)の鳥獣被害対策の恩恵を受けている人ばかり。岡本代表らの取り組みに、住民たちは賛同し、協力を惜しみませんでした。区長の「よし、やろう!」という力強い言葉は、いまでも岡本代表の心に残っています。

日向屋で行われている狩猟は、「地区の農業を守る」「食肉販売や狩猟体験ツアーなどの観光資源を作り、地域を活性化させる」という2つの側面を生み出しました。

岡本代表はこうも言っていました。

「プレイヤーは自分たち。自分たちで地区を面白くしていけばいい」

2017年に3人のプレイヤーで立ち上げたチームひなたは現在も進化しており、今や日向区の未来を担う大きな存在となっているのです。

「いただきます」

狩猟とは、自らの手で動物を殺すこと。その事実はきちんと理解していたつもりでした。しかし今回の狩猟体験ツアーに参加したことで、自分の認識の甘さを痛感しました。

罠にかかって暴れるイノシシ、頭に血がこびりついて動かなくなったイノシシ、腹を割かれ首を落とされたイノシシ、温かさの残る肉…

今後「いただきます」と呟くたびに、このツアーを思い出すことでしょう。常に「命」と向き合い模索している日向屋、そして日向地区のみなさんのことも。

私たちは、何らかの命によって生かされています。だから私は今日も食事を目の前にして手を合わせ、こう言います。

「命を、いただきます」